アクセシビリティとユニバーサルドキュメント

2003年4月14日

ユーザビリティやアクセシビリティ、インフォメーションアーキテクチャ、情報デザインなど、関連業界も含めていわゆる「キーワード商売」(苦笑)はいかがなものかと思う今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今回はアクセシビリティについて、日頃気になっている点を取り上げてみたいと思います。アクセシビリティが話題の中心になることが増えてきた一方で、同じような不満を漠然と抱いている方もおそらく多いと思うのですが . . . 。

「アクセシブルな文書=ユニバーサルドキュメント」なの?

アクセシビリティという概念の普及につれて、Webサイトをアクセシブルにという流れが起こっています。これ自体は望ましい流れだと思うのですが、「アクセシブルなコンテンツは、ユニバーサルドキュメントである」というような論理の飛躍も散見されます。情報がアクセシブルな形で提供されるに越したことはありませんが、「アクセシブルである=ユニバーサルである」という認識には問題があるのではないでしょうか。

例えば、二次元の広がりを持つ平面視覚表現を、一次元(前後の時間軸のみ)の広がりしか持たない音声表現で置き換えることを考えてみましょう。果たしてレイアウトや色彩のテイストといった視覚表現それ自体によってもたらされる効果(それも情報の一つです)を、音声表現や注釈テキストに適切にマップできるでしょうか? できるとすれば、どのような手段によって、どこまでの効果が得られるのでしょうか?

この例のように、どのような環境のユーザーにも同等の情報を提供するとは一体どういうことなのか? そしてそれはそもそも実現可能なのか?という問題意識を抜きにして、ユニバーサルな情報提供を議論することには無理があります。ですが、このような問題に正面から向き合ってきちんと議論されている場面には、残念ながらほとんどお目にかかったことがありません。アクセシビリティに対する総論賛成・各論反対(例:原則としての必要性は認めるが、自分たちのWebサイトは方向性が異なるので一概に優先すべきではない)を払拭できないのは、この問題に対して説得力のある解答が示されていないからではないでしょうか。

コーディングで適宜補うにせよ、1つの文書だけで同等の情報を様々な媒体(メディア)で同時に表現することはそもそも可能なのでしょうか? サイトのアクセシブル/ユニバーサル化という話題は、極端な表現をするならば、1つの文書でどれだけ多くの視聴手段(WebブラウザやスクリーンリーダーなどのUser Agentが代表例)と情報の展開媒体(デバイスやメディア)をカバーできるかという点に尽きるのではないかと思われます。アクセシブルなWebサイトを実現するための手法として、「構造と見栄えを分離して、複数の環境で利用できるように文書をマークアップする」ことがよく推奨されるのも、この目的を実現するためです。

情報の内容と展開メディアを切り離すことはできるのか?

このような話を聞くと「ああ、そうか」と納得してしまいがちなのですが、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。

これまでは各種の紙媒体やTVCFをはじめとして、情報の伝達効果を最大化するために、ほとんどの場面で情報の媒体に合わせて、情報の内容や構成を最適化してきたはずです。スポーツ中継などがその良い例で、TVのスポーツ中継の音声実況や解説だけを頼りにして、試合の状況を的確に把握できますか? 映像を見ない前提であれば、はじめからラジオの中継を聞いた方が、試合の状況をより具体的に想像できるでしょう。

これはTVの音声実況や解説のレベルが低いことが原因ではなく、単にTVという視聴手段・展開媒体向けの情報を、何も手を加えることなしに別の視聴手段で利用しようとするために起こる問題です。視覚情報が存在することを前提として構築された音声情報と、はじめから音声情報だけを前提とした情報では、情報の組み立てや何を優先して伝えるかの取捨選択が大きく異なるはずです(実況放送はリアルタイム性が最優先されますから、情報の取捨選択はさらにシビアになります)。印刷カタログをそのままPDFで配布して不評を買うというのも、あるメディア(紙)用の情報をそのまま別のメディア(Webサイト)に転用したことによって生じるという点で、同じような問題と言えるでしょう。

レベルの差はあるにしろ、1つのソースですべてをまかなうというのはこれと同じような話ではないでしょうか。そもそも当研究所は、情報の内容を展開媒体と切り離すことができるという前提自体が怪しいと考えています。ある媒体で情報を提供するのであれば、その媒体に最適化した表現/配布形態が本来必要とされるはずです。複数媒体への展開を前提として情報を組む場面も存在しますが、その場合はどちらでも破綻しないことを前提とした中途半端なものになるか、展開する媒体に合わせた多重構成を採用した同一ソース(データ)から別のアウトプットを行うしかありません。ユニバーサルな情報提供という観点では後者のアプローチが適切かと思いますが、これは現状のアクセシビリティ対策とは質的にまったく異なるものです。

ユニバーサルな情報提供を実現するために

ここでWebの世界に話を戻しましょう。インターネットでの情報発信が主にWebサイト、その中でも視覚表現が中心になっていることに加えて、低コスト運用が求められるという現状では、1つのソースをアクセシブルにすることで多様な視聴手段(UA)と展開媒体(メディア)に対する最低限の柔軟性を確保するしかありません。ですが、本来は1つの文書を何とかアクセシブルにコーディングすることによってではなく、あらかじめ用意した様々な属性や属性依存コンテンツから、必要に応じて最適な情報をサーバ側で生成することによって問題を解決することが必要とされるはずです。Webアプリケーションが主力となる時代には、その方が何かと都合も良いでしょうし(笑)

アクセシビリティを確保するために推奨される現状のアプローチは、各媒体に特化して情報をデザインするという既存のアプローチに対して情報の伝達効率の観点では遠く及ばないことを、まず素直に認識する必要があると思うのです。コーディングによるアクセシビリティの実現はあくまで過渡期対策であって、これが本流の地位を占めるようでは本末転倒になってしまいます。情報をデザインする側としては、複数の視聴手段/展開媒体で利用可能(アクセシブル)であることと、それぞれの媒体で情報として使い物になることがすり替えられることを看過するわけにはいきません。現状の方策はあくまで暫定回避策に過ぎないのです。

アクセシビリティという考え方と問題解決に日々取り組まれている方々、そしてその背後に存在するであろうユニバーサルな情報提供という理想自体には、十分な敬意を払うべきです。しかしその一方で、情報を提供する側、つまり情報の伝達効率の面から最適化を追求してきた我々も、情報のアクセシビリティとは本来どのようなものであり、そしてどのようにあるべきであるのかを、改めて考える時期に来ています。お題目としてのアクセシビリティ=情報の無意味なユニバーサル化に振り回されるのではなく、本来あるべき姿のユニバーサルな情報提供を実現するために、情報をデザインする側も積極的かつ真剣に議論に参加すべきではないでしょうか。

いかがでしたか?

別にアクセシビリティ不要論を唱えているわけではないのですが、最近増えているアクセシビリティ関連の話には悪い意味でユニバーサルという観点が含まれていると感じることが多く、鬱憤をはらすべく日頃考えていたことを公開してみました。叩かれそうですけど(苦笑)

念のためもう1度繰り返しますが、アクセシブルにする必要がないと主張しているわけではありません。立法や行政、司法をはじめとする公的なWebサイトについては、拙速であっても最優先でアクセシブルなものにする必要があります。ただ、最初からより良い方針で情報公開政策を打ち立てるためにも、アクセシブルの先にあるもの(ユニバーサルドキュメント)をあらかじめ意識することも必要なのではないでしょうか。

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