個人による情報発信はメディアとなり得るか

2003年9月16日

blog(ブログ/ウェブログ) は確実に広まりつつあるようですが、

今のblogの大半って、誰かより先にニュースサイトなどから新しいネタを拾ってきて、紹介みたいになっているけど、それじゃぁ、ただのニュース紹介ツールになってしまう。

Number7110 | blogとライターと収入の関係(2003年9月10日)

という傾向があることは否めません。

でもこれは別にblogに限ったことではなく、これまでの個人ニュースサイトでも同じ傾向が強かったように思えます。つまりこれはblogというツールに依存する問題ではなく、個人ベースでニュースを取り上げるにあたっての限界と捉える方が適当なように思われます。

blogが紹介されるときは、ジャーナリズムを既存メディアから解放する可能性を持つツールが流行り始めている、という取り上げられ方も多かったように記憶しています(参考1 参考2 )。また、そのコンテクストで、blogがメディアに対するチェック&バランスという機能を果たすことを期待する意見もあります(Weblog (blog)は高齢者活性化の鍵となるか?) 。

しかし、実際に個人ベースの情報発信がメディアとして機能するためには、出来事そのものの情報や、既存の情報に対する新しい視点の提示といった、何らかのオリジナルな情報(一次情報)を発信できなければなりません(キーパーソンへのインタビューなどは、それでも難しそうですが)。その点で、それなりのバックグラウンド(専門知識や批評眼など)を持つ人でなければ、一次情報という価値を付加することは難しいと言えます。また、一次情報を付加できる人であっても、多種多様なニュースを一人でカバーすることは現実的に困難ですから、取り扱う情報量は自ずと限定されることになります。

とすると、これらの貴重な情報はネット上の様々な場所に散逸しがちになってしまいます。したがって、散逸した関連情報をなんらかの手段によって結びつける(できればシステム的に)方法が必要になってくるでしょう。また、関連した情報の環のなかでぐるぐる廻ってしまって脱出できない(苦笑)などということのないように、情報の言及・依存関係を巨視的に把握できるような仕組みも必要になってきます。そのような意味で、blog(やその他のツール)で利用できるTrackBackがうまく機能すれば、個人による情報発信が分散ベースの巨大メディアとして浮かび上がる可能性が大きくなるのではないでしょうか(現実にはTrackBackの運用方法も一貫していないようですので、この辺もなかなか難しそうです)。

さて、もしこのような形で巨大な知識ネットワーク(?)に参加できるというメリットが提示されるのであれば、

ライター×blog=収入
の方程式が成り立つためにはどうしたらよいか。

Number7110 | blogとライターと収入の関係(2003年9月10日)

ということは、それほど問題にならないのではないでしょうか。

もちろん書くことによってささやかであっても収入につながる方が嬉しいでしょうが、情報発信のためのモチベーションは、それによってそれほど変わるものではないような気がします。そもそも「収入がないと良質なコンテンツが増えない」という考えかたは、ネット上でこれまで様々なリソースを無償で公開してくださってきた方に、礼を失する話ではないでしょうか。

最後に、「一次情報を付加できないなら、情報発信の意味がない」などと主張するつもりは毛頭ありません。個人情報発信がメディアとして機能しなければならない必然性があるかどうかも議論の余地があるでしょう。それに「blogは最高!他のはダメ!」(苦笑)などと主張するつもりもまったくありません。あくまで個人情報発信をメディアとして機能させるのであれば〜という話に限定していますので、ご了承くださいませ。

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