先日開催された、ソシオメディア(株)主催のメタデータに関するセミナーに行ってきました。

パネリストのメンバー選定の勝利(笑)でしょうけれども、特にパネルディスカッションが充実した素晴らしいセミナーでした(これで参加無料というのも、すごい話です)。ダブリン・コア策定に従事されている両氏の発表内容は近日掲載されるであろう公式レポートに任せるとして、ここではダブリン・コアとメタデータに関しての感想を、一参加者の視点から箇条書きで。

  • パネルディスカッションでも「ダブリン・コアはトップダウンアプローチ」だという意見がありましたが、個別情報の形式属性や構造を元に(メタ)データの集合体を組み上げていく以上、どちらかというとボトムアップアプローチではないかと。「基本属性をトップダウンで決めてるから〜」ということに関しては、HTMLとかも同様でしょうし。
  • 必要最小限のメタ情報の交換フォーマットという意味で、ダブリン・コアはメタデータ交換のためのハブ(つまりメタデータのためのメタデータ)としては機能しそうです。でも属性を規定しただけで、記述のしかたについては野放しという印象ですから、実際にうまく運用できるのかはかなり疑問の余地があります。第一段階として最小限の統一属性を規定することに意味があるのは認めますが、それが使えるようになるかどうかは、結局「使える」内容がメタデータとして付与されるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
  • 特にメタデータ付与の問題に関しては、リテラシが低い人にとってかなりの敷居の高さにつながってきそうです。リテラシが高い人であればる程度使えるデータを付与できるのでしょうけれども、そうでない人向けには何らかの自動付与システムが実用化されないことには...。逆に、こういうことには極端にリテラシの高いスパム屋さんやSEO屋さんはすごく燃えそうですが(苦笑)
  • また、リテラシの高い人であっても、複数分野にまたがるような微妙な範囲を持つような情報の扱いには、手を焼くことが予想されます。制限語彙(controlled vocabulary)を利用しても、この困難は解消されないだろうというのが個人的な意見です。1論文1テーマのような狭いテーマ性を持つことが当然の学術論文が、世の中の情報の一般形とは言えません。関連情報や領域を指定すればOKと思われているのかもしれませんが、「構造の隙間」を甘く見過ぎのような...。
  • ということで、専門家による、専門家のためのメタデータ、というのが現在のところの印象です。学術界や企業内など、形式と内容のレベルを維持するために強烈なモチベーションが機能するか、または強制させるシステムが存在する領域では、そこそこうまく行きそうです。ただし、一般人に恩恵があるかどうかというと...。一般人がネットを利用した情報交換で求めていることと、ダブリン・コアが考えるメタデータの枠組みには微妙なズレがあるような気がします。
  • メタデータをどのように「使える」形でユーザーに提供するのかは、アプリケーション/プレゼンテーション側に任すというスタンスのようです。ですが、こっち側(笑)の努力だけで閲覧コンテクストを踏まえた形に情報を組み替えるのは、かなり難しいと思います。ダブリン・コアがシンプルであるのは、それぞれの情報が「自分が何であるか」を保持できるギリギリの範囲まで抽象化を突き詰めているから成立すると思うのです。その一方で閲覧コンテクストの世界というのは個別性の塊であるわけで、シンプルな世界とのギャップはかなり大きい、と。
  • これは学者と一般人の違いというよりも、オブジェクト単位で記述する仕様書と、閲覧コンテクストベースで記述するマニュアルとの違い、と言った方がわかりやすいかもしれません。先の二つの世界を何らかの自動的手段でシームレスにつなぐというのは、いわば仕様書からマニュアルを自動生成するようなものではないかと。そう考えると、かなり無理っぽいような気が(笑)

少しネガティブ色が強くなってしまいましたが、「使える」知識ネットワークの基盤として機能することを期待したいところです。いろいろと考えることの多い、非常に有意義なセミナーを主催されたソシオメディア(株)と発表者&パネリストの皆様、本当にどうもありがとうございました。

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