気分的に(笑)先のエントリからの続きになります。

今年の講義(諸事情で今年は前期開講)ではレポート課題の他に講義中のミニ課題を課したのですが、そこで気付いたことがあります。表現すべき情報の枠組みをある程度細かく指示するとしっかり書けるのですが、(意図的に)枠組みをぼかすとアウトプットが途端に怪しくなる、という傾向があるのです。これは要するに表現能力ではなく、コンテクストを踏まえて枠組みを設計する能力の不足が問題の原因、ということなのでしょう。

学生の名誉のために一応断っておくと、どうもこの問題は学生だけの問題ではないようです。以下はJAGAT(日本印刷技術協会)のクロスメディアエキスパート試験の講評の一部ですが、

試験には意図があって問題が作られ、与件があるのだから、それを理解して解答していかないと、解決策は出てこない。その基本的なところが慣れていないようである。

JAGAT | 論述問題で感じるコミュニケーション能力の不足

この講評を見ると、社会人も同じような問題を抱えていることがわかります。また、この講評を見るまでもなく、マニュアルの品質低下の問題を扱った先のエントリ中の

「閲覧コンテクストを想定した上で、どのような情報をどのように提供すべきなのか?を正しく判断する」という、マニュアル制作のプロセスで一番重要なところができていない

情報大工のひとりごと | マニュアルの品質は低下傾向?

も、問題の構造としては同じものと言えるでしょう。

ということは、この問題をどうにかする教育方法を考案できれば、情報設計の品質の底上げにつながるのではないか?ということになります。単なる分類ではなく、コンテクストを踏まえて枠組みそのものを設計することにこそ、情報設計の醍醐味がある訳ですから

具体的な解決策はまだ明確になっていないのですが、「料理レシピの枠組みを挙げる」という課題を課したときは、いろいろな枠組み(和食とか煮物とかさっぱりとか)を挙げることができた学生が多かった、という事実が突破口になりそうな気がします。「ある程度の具体的な料理を知っていて、ある程度の枠組みも知っている」という条件であれば、「具体的な料理から枠組みを想像できるし、想像した枠組みから他の欠けた枠組みも補うことができる」訳です。これはある意味当たり前の話ですね。

そうするとやはり、枠組みを創造することができないのではなく、枠組みを創造するための想像が及ばないという問題をどうするか?という話に収斂します。したがって、枠組みに含まれる情報と枠組みそのもの関係、そして両者を規定していく情報設計プロセスの考えかた、といったあたりが課題になってくるのではないかと思っています。まだまだ漠然としていますが...。

で、この辺の課題意識と情報設計一般プロセスについてですが、来る9/21にJAGATのセミナー「受け取る側の立場に立った『情報デザイン』とは?」の一部としてお話させていただく予定となっております。セミナー用に出し惜しみしているように見えるかもしれませんが、それは気のせいで実はこれから詳しく考えるところなのでお気になさらず(汗)

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